台東区と墨田区の姉妹提携事業として1985 年に完成した歩行者専用の「桜橋」。
他にも「白鬚橋」「言問橋」「吾妻橋」「駒形橋」「厩橋」「蔵前橋」の6つの橋で結ばれています。2020年4月には、浅草と東京スカイツリータウン(R)を結ぶ「すみだリバーウォーク」が開通し、さらに両区が近くなりました。

十勝へようこそ

台東区と墨田区は、
隅田川を境に接しており、
歴史的・文化的に、さらには経済的にも、
江戸の遠い昔から現在に至るまで、
川の流れとともに変わらぬ交流が続いています。
下町人情に支えられた両区の交友関係をさらに深め、
住みよい地域社会と豊かな区民生活の実現を願って、
昭和52年に姉妹区提携を締結しました。

台東区・墨田区には、江戸のこころと文化が息づく文化や行事がたくさんあります。
隅田川花火大会や、三社祭、江戸前の食材を使ったお料理、相撲や芸者などなど。
どれも江戸のこころがいまなお息づく台東区・墨田区を代表するコンテンツです。

はる

台東区と墨田区には桜の名所が数多くあります。
上野公園や隅田公園の桜は桜名所百選に選ばれています。
特に隅田川の吾妻橋・桜橋間は江戸時代から
桜の名所として親しまれており毎年3月下旬から4月上旬には
隅田川の両岸で「桜まつり」が開催されています。

江戸時代に浅草神社の正月行事として行われていた「浅草流鏑馬」は、
勇壮・華麗な観光行事として、
昭和58年に復活し、今に継承しています。

なつ

「四万六千日 ほおずき市」が開催される7月9日、10日は、
この日に浅草観音に参拝すれば四万六千日参拝したのと同じ
ご利益があるといわれています。

毎年7月下旬に開かれる隅田川花火大会は、
江戸時代に八代将軍徳川吉宗が打ち上げた
「両国川開きの花火」を起源とし、昭和53年に復活しました。
国内最大級2万発の花火は、毎年、多くの人に親しまれています。

あき

「谷中菊まつり」は、江戸時代から明治にかけて続いた
団子坂の菊人形が、昭和59年に「菊まつり」として再現されました。

萩のトンネルは、墨田区東向島にある向島百花園の名物です。
毎年9月には「月見の会」も催されます。

ふゆ

11月の酉の日に行われる「酉の市」や、
年の瀬に開催される「羽子板市」など、様々な市が続きます。
また、12月14日は、赤穂浪士討ち入りの日。
この日、吉良邸のあった本所松坂町公園では「義士祭」が開かれます。
新年を迎えた上野東照宮ぼたん園には、
1500坪の土地に約40品種、600株の冬牡丹が咲いています。
そして、毎年2月後半に開かれる
「国技館5000人第九コンサート」は、
国内外多くの人に親しまれています。

台東区は、主に江戸時代からの歴史と伝統を有し、地域に根付いた四季折々の祭りや行事等、多彩な魅力に溢れています。千年以上の歴史がある「下谷神社大祭」をはじめ、「千貫神輿」と称され、都内随一の重さを誇る宮神輿の「鳥越祭」などがあり、特に浅草神社の祭礼である「三社祭」は、日枝神社の「山王祭」、神田神社の「神田まつり」とともに「江戸三大祭」の一つに数えられています。
また、隅田公園内にある牛嶋神社では、5年に1度、大祭が開かれます。鳳輦牛車を中心に、古式ゆかしい行列が町内に繰り出します。

門前町として栄えた台東区。新しいものをいち早く取り入れるモダンな気質によって様々な食文化が花開きました。令和の今日でも、この地域には江戸の歴史を受け継ぐ老舗が多く存在します。
また、墨田区 両国は、相撲のまちでもあることから、数多くのちゃんこ料理店が軒を連ねています。

台東区には浅草、墨田区には向島に、江戸の昔から続く「粋なおとなの遊び」が楽しめる花柳界があります。
浅草寺の北に広がる浅草花街は伝統と格式を誇る東京屈指の花柳界の一つで、その歴史は長く、時代の移り変わりとともに、なお現在にも受け継がれています。
向島は、在籍する芸者数が東京で最も多く、料亭、置屋、和菓子店が多くあります。

江戸時代、台東区は浅草の浅草寺や上野の寛永寺をはじめ寺町として人が集い賑わい、さらに歌舞伎や人形浄瑠璃の劇場が浅草に移され江戸随一の盛り場として栄えたことから、様々な場面で職人の技能が求められるようになりました。このような歴史背景のもと、台東区・墨田区には江戸簾や江戸銅器、江戸指物、江戸木目込人形、江戸小紋など多種多様な職人が集まり、現在に至るまで伝統の技を受け継ぎ、活躍しています。

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